聞き流す、ということをよくやります。ラジオ感覚で、YouTubeを聴くこともあれば、Spotifyを聴くこともあります。うちにはテレビがないので、必然的にそういうのを流していたりする。
「フォー・トップス」から「俺ら東京さ行ぐだ」まで、広範囲で聴いてますね。
ずっと流しているわけですから、自分が直接聞きたい極ではない曲が、Spotify の選曲でかかるんですよね。
そしたら、ザ・ドリフターズの「いい湯だな」が流れてきたんです。
♪いい湯だな が流れてきて…
妻と息子と3人で、休日の遅めの朝食。
聴こえてきたのは、「いい湯だな」って曲。
冒頭の尺八。ニッポンの湯って感じの入り方。
おっ、♪いい湯だな か。
懐かしいな。
昔ドリフ大爆笑観てたな。今ではいかりやさん、志村さん、仲本工事が亡くなり、
茶さんと高木ブーだけになってしまった。
加藤茶の合いの手が、すごいんだなぁ。
で、曲も中盤に差し掛かった頃、なんかね、涙が出そうになった。
いや正直に言おう、出ていたさ。ちょんびり、ね。
妻も同じように感じていたみたいだった。
そりゃ夫婦だから、同じ場所で泣き、同じ場所で笑うのさ。
♪いい湯だな ええなぁ
そうね。本当に沁み渡るわね
昔はよかったなぁ、なんてね
「昔はよかった」なんて、年を取った証拠ね
でも、本当に沁みるなぁ。今ではできないことが、昔はできていたなぁ
そうよねぇ
茶の間、って言葉がねぇ。今はもう言わないだろうな。個人の時代になってしまった。Steve Jobsが「i」を強調した。パーソナルコンピュータにiPhone。個を強くしてしまった
そうよねぇ
という感じ。
確かに、「昔はいい時代だった」とか「あの頃は本当によかった」なんて言っている。
言っていなくても、心で思っている。
得体のしれない閉塞感。そんなようなのが、あるのは確かだ。
普段仕事では、「DXだ!」「変化に適応しなければ生き残れない!」「チャレンジしていくぞ!」なんて言っている。
でもね、そんなに変化するようにできてないはずなんだよね。
新しいこと、新しい場所、新しい技術、新しい考え方。
人間は確かに新しいもの好き、である。
一方で、馴染む、すめばみやこ、故郷、ブレない、、。
変化をしない、という価値観。これも確かにある。
どれだけ幸せになったか。
幸せになろうとするのも、幻想だろうし。
いろんな人間がいらっしゃる。
どこまで価値観を強要するのか。
そうではなくて、価値観を表明するのみで、その価値観が好きな人が自然に近寄ってくる。
それくらいのほうがいいのかな、とか。
♪いい湯だな は銭湯や温泉などの、湯を思い出させてくれる。
日常の時間、ゆったり流れるかけがえのない貴重な時間を提供してくれる湯。
温度と湯気と裸の付き合いで、理論やら経験やらの鎧を強制的に脱がせ、生身の垢ごと
洗い流してくれる湯。
アッツイ、ぬるい、つめたーい。
最後はコーヒー牛乳が待ってるぜ。
人間は、なぜ、風呂上がりのコーヒー牛乳を飲む時、腰に手をやるのだろう?
歌詞もいいなぁ
♪いい湯だな を調べてみた。
永六輔さんが作詞していて、いずみたくさんが作曲。
もともとは、デューク・エイセスさんが唄っていたのか。
湯気が天井から ポタリと背中に
つめてエな つめてエな
ここは北国 登別の湯
えエなぁ。
せっかく登別の寒い日曜の昼間、5歳の息子とお湯に浸かっていたのに、天井から、ポタリと一雫。
ちょっと、ヒヤッとしたじゃねぇか。
でも、それも幸せだ、ってね。
え、じゃなくて、エ、だからね。
ほかは、ほとんど「ババンババンバンバン」だからね。
そして、歌詞と歌い方、というところでは、やっぱり躍動感というかリズムがとてもいい。
ババンババンバンバンとか、アービバビバとか。
ガンガン行くぞって感じでね。
この曲自体が秀逸なんだな!
いい湯だな、の「いい」とは何か。
ぼくは「現状の全肯定」だと思いました。
お湯に入ったらね、
裸見られないようにしよう
とか、
このお湯に浸かって「熱っ」ってなったら、初心者感丸出しで恥ずかしいから我慢しよう、
とか、
雑念が入るんですよね。
入る前は、仕事やプライベートの雑念がある状態。
入る時は、裸見られないようにしようとかの雑念。
入ったら、そんなこと関係なくなって「いい湯だな」。
ってことで、つまり、入る前の雑念を→裸見られないようにとかの雑念に変えて→いい湯で流す
ってことだと思います。
書いていると、いい湯に入りたくなってきたゾ。