ぼくには、年長の息子がいます。
最近「九九を覚えたい」と言ってきました。
たし算もひき算もままならないのに、九九をやるのか。
まあ、本人もやってみたいと言っているわけだから、わかった、ちょっと教えてみようか。
ということで、九九を息子に教えている途中に少し思ったことがあるので、書いてみますね。
四則演算
ぼくが彼に九九を教える時に、
「実は九九は、半分くらいを覚えれば言いんだよ」
と言った。
というのも、3×5と5×3が一緒だから、だ。
ひっくり返しても、答えは変わらない。
九九を教えたあと、彼は公文にとりかかった。
今、たし算をやっている。
ぼくは、たまに公文をやる息子のそばで、みていることがあるが、
そこでやったアドバイスも同じだった。
「6+8も8+6も、同じ」ということだ。
なるほど。たし算とかけ算は、順番関係ないのね。
そして同時に、
「ひき算とわり算は順番が大切」
ということだった。
ふと考えてみた。
自分はたし算かけ算系の人間なのか、それともひき算わり算系の人間なのか、ということだ。
イメージでいけば、
たし算やかけ算は、「イケイケ」だし、
ひき算わり算は、「思慮深い」だ。
ぼくは、自分自身「思慮深い」と思っている。
それは、「引く」「割る」ということからもイメージできる。
「引く」というのはまさに「戦略的」という意味だ。
なぜなら戦を略するのが戦略であって、それはまさにひき算の発想だからだ。
また、「割る」ということは「分ける」ということであり、「分かる」ということ。
これも論理的であり、思慮深いということだと思う。
そして、もう一つ考えてみた。
それは、
「元になっているものを利用するのが、たし算とかけ算」であり、
「元になっているものを利用してもらうのが、ひき算とわり算」である、
ということだ。
ベースになるものがあって、それを元に増やしていくのがたし算かけ算系で、
ベースに持っているものを加工したり(削ったり)シェアしたりして、利用してもらうのがひき算わり算。
こちらからプッシュして巻き込んでいくのがたし算かけ算で、
巻き込まれたくなるようにもっていくのがひき算わり算。
そういうふうに、四則演算を整理してみた。
スタートする時は?
元になっているものを利用するのがたし算かけ算ということ。
攻めていく感じ。
ひき算わり算は、そのための準備。
これらの特徴を、どのようにスタートに活かすか。
冒頭に述べたように、たし算やかけ算は、ひっくり返しても答えは一緒だ。
順番は関係ない。
これは、軌道に乗ったときとか、イケイケの時に採りたい姿勢である。
順番も何も関係ない、答えは一緒だから少々の間違いも気にするな、行け!
というようなメッセージ。現に、鶏が先か、卵が先か、という言葉もある。
順番というのは、どっちが先かわからないところもあるのだ。
一方で、ひき算やわり算は、戦略的であり、思慮深い。
利用してもらう系。
とすると、生まれたてのとき、新しいことをやるとき。
ひき算わり算は、このフェーズと相性がよい。
元になっているものを利用してもらって、巻き込まれたくなるようにもっていく。
なぜなら、元になっているものを利用してもらうとき、その”元”になっているのは、
「自分自身」だからだ。
自分自身をフル稼働させて、巻き込まれたくなるように戦略的に思慮深くもっていく。
スタート時は、自分自身しかない。とすれば、ひき算わり算の発想でスタートする。
自分がどんどん頑張って、周りにシェアする。戦略を考える。
そして、軌道に乗ってきたら、たし算わり算的に回す。
順番は関係ない。どんどん元になっているものに肉付けし、増やしていく。
逆のように思うかもしれないが、ぼくは、まずはスタート時は「ひき算わり算」を大切にするべきだと思っている。
楠木建氏もおっしゃっていましたが、
「ビンタしてから抱きしめる」のと「抱きしめてからビンタする」のは、意味が全く異なる
楠木建 https://www.foresight.ext.hitachi.co.jp/_ct/17661530
順番というのは、間違えるとエライことになってしまいます。わり算を混ぜる、というふうに考えれば(例えば、ウイスキーを水で割る)、どっちが先でも混ざれば同じとも捉えられるけど、どうやら焼酎の湯割りなどはそれでも「おいしい」順番があるそうですね。
ぼくはどちらかといえばひき算わり算派なので、周りにたし算かけ算系の人がいるとありがたいです。ざっくりと、増やしながら進んでいく感じ。これは真似ができないから。
スタートする時は、逆に「今持っているものを減らしたりシェアしたりするところ」から始めると、はじめやすいかなぁと思います。