【エッセイ】水筒が好きですね。

どうぐ(ステーショナリーなど)
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水筒。
今はスタイリッシュなものも多いですし、機能も優れています。

10年前に比べて、明らかにエシカルなもの、持続可能なエネルギーなもの
がカッコいい。
水筒というのは、ぼくにとって遠足ぐらいで止まっていたのだが、使うようになって、
なんというか、「そばにいる奴枠」を獲得しているような気がします。

水筒について、語ってみたいと思います。

水筒のルーツ(自分ルーツに照らす)

紀元前3000年とも5000年とも言われるくらい古すぎて、よ―わからん。

ヤギやらヒツジの革で作ったものを使っていたようである。

そこから水筒になり、魔法瓶が出てきたりしたのだろう。
それはそれでいい。

ぼくが水筒をもったのは、幼稚園のときだったと思う。例に漏れず、戦隊モノの
水筒を、おねだりして買ってもらったのだろう。フタがコップになっていて、
お茶やら麦茶を注いで、喉を潤していた。

友達というライバルの水筒。女の子の水筒。担任の先生の水筒。延長の水筒。
それぞれに「形」があった。
特に夏。キンキンに冷えた麦茶に、おかあさんやおばあちゃんの愛情をみた。

あとは、ピクニックかな。大きめの魔法瓶。そこに入っているのは、粉から作った
「ポカリスエット」
だった。
家族全員でシェアして飲む。
これがまた美味しかった。ポカリの粉をいれて、水をいれるだけなんだけど、
ペットボトルのそれとは何か違ったんだよなぁ。


そして、おとなになるにつれ、つまり中学や高校、大学ではほとんど水筒は使わなかった。
社会人の前半も、同様だ。

水筒なんてダサかった。水筒なんて重たいだけ。

そんな感じだったと思う。
ぼくの周りでも、水筒をもっている人はそんなに多くなかったと思う。

ところが今、蔦屋家電とかデパートとかにいってみると、
水筒がけっこう幅をもらって置いてある。

なぜなのか。

水筒が少し流行っている理由

それはカッコいいからだと思う。

もともと僕はゴルフを始めた時に、ゴルフがなぜ18番までなのか、を調べたことがあった。

もともとゴルフはスコットランド発祥である。
もちろん、寒い。だから、スキットルボトルにスコッチを入れて、
後ろポケットにそれを忍ばせてプレイしていた。

ティーショットを終えるごとに、キャップ一杯のスコッチを飲む。
ちょうどなくなるのが18番、というタイミングだった。
ゴルフってかっこいい。
スコッチ飲みながらプレーすんのか。※飲酒運転は、ダメですね。

やっぱりカッコいい。


考えてみると、水筒というのは家庭の味を持ち運ぶ器、と言い換えることができると思う。
家庭の水道をひねり、家庭の麦茶を入れる。つまり、自分のお気に入りであり、
慣れ親しんだ味。
これを持ち運ぶ器、ということである。

男は、外に仕事をしに行く。
休憩中、水筒に家族を見る。
それを口にする瞬間、家族に接続するのだ。

そしてそれがカッコいいのだ。

ではなぜ、それがカッコいいか。

それは作り込まないからである。デコレートされた弁当、も確かに愛情を感じる。
だが、水筒は作り込まない。注ぐだけである。

ここに、潔さがある。それがカッコいいのである。
男として、戦っている感じがするのだ。
どこか遠いところへ何ヶ月も、という場合は違うだろうが、
愛情をサラサラにして、スルスルと飲むところに、男の痩せ我慢に似た流儀を感じる。


女はどうなんだろう。水筒に、そんな殺気立った理屈は感じないとは思う。
だが、手軽に自分の好きなものがあって、旅の途中、ちょっとだけ家に戻れる安心感
が水筒を携帯させるのではないか、とは思う。

水筒は、痩せ我慢感がある。

水でいいよ。お茶でいいよ。

でも、家族をそばに感じたい。少し接続したい。

そんな効用があるのではないかと思う。

水筒は、一方で何度も使える耐久力に価値がある。

我慢と耐久性

そばにいる奴枠、を獲得するということは、劣悪な環境であれ、壊れないことが重要だ。
間違って落とされても、機能を失わない。
ちょっと角が凹むとか、ボトルに傷がつく。
でも、耐えている。

耐え忍ぶ君の姿に、心打たれる。しかも、アンパンマンのように、自分がもつ資源を
分け与えてくれるのだ。

家に変える。自分も水筒も。
水筒の家は、流し台である。

そこで風呂に入る。洗われ、乾かされる。

風呂ぐらいは入れてやるよそんなもん。
体を丁寧に洗ってあげるよそら。
それぐらいは、やらせてよ。

生き様を曝け出せることが、カッコいいんだと思ってる。

水筒を供養する日を作るとか、ね。


今日の書斎

まぁ、ペットボトルが地球温暖化に悪い形で貢献してしまっているとか、水筒持っていったほうが
安いとか。

そういう理由は、確かにある。

でも、水筒の「情緒的側面」も、大切だと思います。

水筒は、あまり文句を言わない相棒ですもんね。

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