【書評】「自分とか、ないから」をレビューします!

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今日は、「自分とか、ないから」という本をレビューしたいと思います!

仏教って使える!

仏教って、なんといいますか、実践的なところがあると思っています。
実際にスマナサーラ長老のYouTubeや、『反応しない練習』という書籍、あるいは笑い飯の哲夫さんの書かれた『ブッダも笑う仏教のはなし』などを読んだことがあります。
どうにも悩んでいるときやうまくいかないときに、支えになってくれたりするんですよね。

ということで、仏教は実学として非常にノウハウがあって参考になるのですよね。
今回「自分とか、ないから」は仏教にとどまらず、東洋思想全般の本ですが、すごく参考になりましたので、感想を書ければと思います!

感想

内容から

この本、東大卒の無職の、しんめいP氏が書いている。
ご本人もいろいろ苦労があるのだと思う。
私も苦労がないわけではないし、おそらくニコニコ談笑しながら歩いている街のOLも女子高生もおっちゃんも、神田の高架下で話を聞けば(女子高生は基本的に飲めませんが)、苦労の一つや二つ、三つに四つと、出てくるだろう。

7名のレジェンドたちが、この本の主役となっている。
7名に言えること、つまり共通点が見つかった。

それは、いずれも「社会不適合者感が満載」であることだ。

ブッダもやっぱりぶっ飛んでいるし、老子も荘子も親鸞も、やっぱりぶっ飛んでいる。
やはりそのあたりが、現実から逸脱しているような感じでなければ、涅槃の境地、道(タオ)を極めていったり、悟ったりはできないのかもしれない。

ただ、そういった社会不適合者っぽい人が新しいものを生み出したり、社会を前進させたりするともいえるだろう。

私は、といえば、「社会不適合者」と「社会順応者」のハザマにいるような感じがする。
なんというか、中途半端なので、ちょっと別の意味で苦労している気もする。

著者もそんなところを浮遊しているので、苦しくなったのかもしれない。

生きることは、すばらしい。そして苦しい。例えば試練がやってきたとする。
苦しいととるか、すばらしいととるか。
物事をどちらから観るか、で解釈の仕方が180℃変わる。その意味では、東洋思想には共通点があるように思う。

あまりカチッとはしていない感じがする。漢方のようなところがある。

文体から

文体から感じたこともある。ポップで親近感のある文体だった。
哲学といえば岩波文庫(かなり偏見かも)だ。文庫本のくせに、いや、文庫であるがゆえに超筋肉マッチョな本たちである。その硬めでゴリゴリの筋肉をほぐすような文体。読みやすさが天下一品だった。

著者は、この本を書く、つまりアウトプットするときにこそ、この教えたちを体感したのではないか。そういうエピソードが満載だし、私も書くことで、仏教や哲学をわかろうとする。もちろん分かっている気になっているだけかもしれないが、それでよいとも思っている。

いずれにしても、さくさく1時間もあれば読めてしまう本なので、買って読むことをおすすめしたい。

読む、ということは読まないこと、でもある。

読まない、があるから、読む、がある。

そんな感じだなぁ。

今日の書斎

おそらく、言語化モンスター。書籍の中に「面接の天才」という表現があった。相手に憑依するというか、憑依しすぎるために、時に苦しくなるのかもしれない。

頭のよさ、というのはいろんな方面からみなければならない。

知っていればいいのか。回転が早ければいいのか。
ずっと考え続けられればいいのか。描ければいいのか。

それをどうアウトプットするのか。

頭の中にあることを何でも出せばいいというものでもない。

このあたりは、大いに私の課題であります。

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