2つの理由
最近、「あぁ、年をとったなぁ」と感じることがあります。いろんな場面でそれを感じます。中でも、「ちょっとしたことで涙が出てしまった時」に、歳を重ねたことへの実感が増します。
調べてみると主として2つの理由があるようです。
共感力が増加するから
1つ目は、「共感力の増加」です。長く生きていると、いろんな経験をします。そして、目の前の出来事に対して、その経験がビチっとハマってしまう。その対象に入り込んでしまい、あたかも自分が体験したように、その他人の感情を経験してしまうのですよね。
たとえば、子供が生まれて、ぼくはさらに涙もろくなったと感じますね。他人の子供が無邪気に母親と遊んでいる。そういう光景をみただけで、泣いてしまいます。
「この子供を育てているこの母親は、毎日朝早く起きて、幼稚園の弁当を作っているんだな」
とか
「今はどろんこで走り回っているけど、この子にもきっと初めて立った瞬間がある。その時めっちゃ感動したもんな」
って。
これはよく分かります。
脳のブレーキが緩みやすくなるから
年を重ねると、自分の気持の変化などの感情を抑制する力である、脳のブレーキが利かなくなってくることが挙げられます。
脳の表面部分の大脳皮質(だいのうひしつ)、特に前頭葉(ぜんとうよう)には元々、感情を抑制する働きがあるのですが、そこが年齢とともに衰えるようです。
たしかに、あまり好きな言葉ではないですが、「老害」という言葉があります。この言葉が向けられた人を観てみると、いつも怒っていたりしますね。そういう意味で、感情を抑制する機能、つまりブレーキが衰えるという特徴があるのだと思います。
溢れる、ということ
涙、というのは感情が液体になって流れてくるもの、だと思っています。
情けないとき、悔しいとき、悲しいとき、嬉しいとき。
おそらく涙を舐めてみたときに、うれしい涙は、悲しい涙に比べて甘い、
とかそういう差はないのではないかと思います。
ですから、どんな感情であっても、涙という、ちょっとしょっぱい味のする液体が、目尻の方から出てくる。
そういう現象だと思っています。
私も最近涙もろいですが、上記の2つの説明どおりだと実感していますね。
要するに溢れる、というのは何らかの形でキャパをオーバーすることなのですよね。
経営に当てはめてみると?
チームで経営をする際に、そのチームから溢れ出てしまう、つまり離職することも同じことかもしれません!
年を重ねる、ということと同様に、チームも年を重ねていきます。店舗運営をしているなら、その店が経験を増して熟成してくる。
そうすると、涙が溢れてくるように、キャパオーバーとして人が溢れてくることがあります。
馴染めなかった人や店長の考え方に合わない人など、どうしてもそのチームから溢れてくる、つまり離職していく人が出てきます。
店が経験を重ねれば重ねるほど、その店は共感されることが増えるので、多くの人が集まってくる。
そうすると、必然的にそういう人が多くなってくるのです。
溢れてくるもの。その人そのものや、その人が有している感情、たとえば不平不満や怒りなどです。これらにどう向き合っていけばいいのでしょうか。
それには涙が出てくることと逆のことをやっていけばいい、というふうに思います。
溢れるものとどう向き合うか?
それでは、そんな涙もろい組織、キャパオーバーとなってしまい、いろんなものが溢れてしまっている組織は、溢れるものに対してどう向き合っていけばいいのか?これについて考えてみたいと思います。
抑制のブレーキ力を上げる
1つ目は、抑制のブレーキ力を上げることです。脳の問題であり、若さの問題ですから、社歴の深くなった人を異動させたり、新たな人を採用したりすれば、脳内も若く保たれるのではないかと思います。
感情に左右されない、ということでもありますから、これは理性的に、すなわち思考停止に陥らないようになると思います。溢れるものを抑制し、思考も停止しないようになる。ある程度、若さを保つことはしたがって大切だと思っています。
器を大きくする
2つ目は、「器を大きくすること」です。
一人ひとりが溢れないように、理性的に処理する力を醸成する。
感情を露にすることは、あまりかっこよいものではないですよね。当たり散らしている人や泣きわめいている人は、魅力的に見えませんよね。ですから、そういう人間としての器を大きくしていくことが大切だと思っています。
涙もろいといいこともある、と思うようにする
実は、涙が出る理由を考えるにあたり、例えば赤ちゃんは人間でも動物でも泣き(鳴き)まくりますよね。で、逆に泣いている人をみたら、自分だったらどう思うか、を考えてみることにしてみました。
私は、泣いている人をみたら、その人に感情移入してしまいますね。その人と同じ感情になってしまうのですよね。
年を重ねていくと泣いてしまうのは、泣いたら他人からどういうふうに対応されるかが分かってくるから、ということもあるのではないでしょうか。
泣くこと、は、共感を呼ぶ。つまり、他人と気持ちが同じになる効果があるように思います。
そして、泣いている人に対して、人間は、同情したり愛しいと思ったりする。
そういうことが経験として分かってくるから、泣く。
そういうこともあるように思います。
その意味で、他人に対してシンパシーを感じていくために、備わった人間の機能として「泣くこと」がある。そういうふうにも思います。
溢れている、というシグナルを通して、他者とつながって、シンパシーを感じることができるなら、溢れることは悪いことではない、ということです。