アフリカの靴の話
アフリカの靴、の話は、経営に携わられている方々はご存じの方もおられると思います。
営業マン二人が、アフリカへ市場調査に行きました。
Aセールスは、
「みんな裸足じゃねぇか。チャンスなし」
と思い、
Bセールスは、
「まだ誰も履いてないじゃないか、めっちゃチャンスあり!」
と思った。
ある事象があって、それを全く別の角度からみていくこと。
リフレーミング。
このスキルは、経営とかリーダーシップには欠かせないと思います。
この点を受けて、目的と手段の混同、について記してみます!
目的と手段、どっちが大切なのかなぁ
目的と手段を循環させる
物事を別の角度からみて、捉え直すということ。これは非常に大切なスキルだ。
で紹介した「自分とか、ないから」という書籍にもあったが、
自分と他者、そして自分と宇宙はすべてつながっているのだ
(これを縁起というらしいです)から、アフリカの靴の話も、
結局同じものだと言えるだろう。
どっちも正解だし、どっちもない。
それはさておき、アフリカの靴の話で言えば、おそらく市場がないと捉える人も、
チャンスだと捉える人もいるだろう。
組織あるいはチームには両者がいてほしい。
アクセルとブレーキ。
「貞観政要」という中国の本があるが、守ることが大切だ。
そして攻撃は最大の防御なのだ。
防衛本能として、「あぁ、これは責められるな」と思えば先に攻撃してしまう。
専守防衛であり先取防衛。
そういう話にもなるかもしれない。
目的と手段も、同時に決まる。
同時に意味が既定される。
意味を一つ決めるときは、同時にもう一つの意味を決める必要がある。
プロテインを飲むことが手段、というふうに意味を規定すると、筋肉をつける、というのが目的になる。
この時、プロテインを飲む、が目的になってしまえば、
「〇〇を混ぜれば美味しい」「プロテインを飲んでいる姿を投稿しよう」といったことになる。
これが、
「プロテインを飲む姿を投稿することで」→「みんなが次の投稿を待っている感じになって」→「次も大変だけどプロテイン飲もう」となって、→「実際にプロテインを飲んで」→「筋肉がつく」
ということならば目的と手段を混同しているわけではない。
しかしながら、人間はそれほど利口にできていない。
道草を食う。
気が散る。本能的に。
だから、混同してしまうのだ。
途中で、それそのものが楽しくなる。
この「寄り道をさせる力」のことをマーケティングというのかもしれないが、
とにかく人間は、ちょっとした、しかも自分の興味のある刺激に、めっぽう弱い。
ではないが、やはり消費に意味を求める時代だと思う。
とすれば、寄り道にこそ意味があるかもしれない。
例えば、ある調べ物をしているときに、YouTubeを観た。
そこで、非常に魅力的な商品、に出会ってしまう。
そしてその動画とその動画関連のものを永遠と観てしまう。
やはり、気になったものがあると寄り道したくなるし、
それが好きなんだモノ、しゃーないよ。
その意味で、生きるための消費というよりは、意味を求めているのだ。
意味を目的とするならば、寄り道こそが目的となる。
したがって、目的と手段が混同する、というよりはそれらが逆転する。
山の頂上に行くことが目的だったが、
いつの日か「山に登るプロセスそのもの」が目的になっている。
この目的と手段の逆転現象のうち、手段が目的になってしまったものを、趣味という。
なんで好きなの?どうしてそんなくだらないものを集めてるの?
しょうがない。集めることが目的であり、意味だから。
例えば、〇〇をしなければならない、という仕事があったとする。
本来は、アウトプットを出すのが仕事だ。
しかしながら、ときにそれは大きなプレッシャーになることがある。
そんなときには、結果はさておき、仕事を頑張っている行為そのものにフォーカスしてみる。
がんばっているおれ。
夜食を食べながら。
太っていいんだ。
それが勲章なんだ。
ご褒美に〇〇を買おう。
そういうところにフォーカスする。
そうすれば、ふっと力が抜けるかもしれない。
趣味のように楽しんでしまう。
エクセルでエコノミクスを作っていたら、関数を編み出すことにハマる。
そんなことまでやらんでいい。なのにやってしまう。
いいじゃん、楽しいんだから。
そういう防御、も必要である。
思えば、寄り道だらけの人生だった。いや、終いになるという意味での過去形ではないが(笑)。
目的目的、アウトプットアウトプット、効率効率、、。
確かにそうなのだが、生きることに意味があるとかなんとか思ってしまうと、旅そのものが楽しくなくなっちまうぜ。
ときには刹那的でいいし、ときにはサボってもよい。ずっと刹那的でも、ずっとサボっててもよい。
楽に、楽に。